ユベルは力無く歩き続けていた。教会に帰るべきかと考えたが、その気は起きなかった。
途中で降り出した雨が体を濡らしていく。
ユベルの頭の中はグチャグチャで、寒さも加わり、もう全てが限界だった。
細い路地裏に力なく膝を付く。
そのまま倒れこむと、ユベルは静かに目を閉じた。



ユベルが目を開けると見覚えの無い天井が目に入った。
ここはどこなのだろう。それを確かめようと起き上がると数人の子供と目が合った。
ユベルが驚いて固まっていると、子供達は慌てた様子で部屋の外へと駆けて行った。
「エマ姉ちゃん!あの人起きたよ!」
子供達の声が聞こえた後に部屋に入ってきたのは、年若い女性だった。



「目が覚めたのね。気分はどう?」
「あのここは…?」
「私の家よ。貴方、家の裏口近くに倒れていたから運んだの。」
女性はユベルを安心させるように優しい笑みを浮かべた。
「私はエマよ。貴方は?」
「…ユベル。」
エマは体温を確かめる為にそっと額に触れた。暖かな体温がユベルの体に伝わると、ふと心が軽くなる気がした。
「良かった。熱は無いみたいね。」
「お兄ちゃんと元気になったの?」
扉の影から少女が声をかけた。
「ええ、もう大丈夫よ。」
戸惑うユベルの代わりにエマが答える。
「子供が多くて驚いたでしょう。あの子達は近くの家の子でね、この辺りは共稼ぎの人達ばかりだから仕事が終わるまで預かってるの。」
孤児院の雰囲気を思い出しユベルは懐かしんだが、それと同時に胸が痛んだ。
「お腹はすいてない?」
ユベルは俯いたまま小さく首を横に振った。
「そう。じゃあ暖かい飲み物でも飲みましょうか。もうおやつの時間だから皆一緒にね。」


おやつの時間に無邪気にはしゃぐ子供達の側で、ユベルはひっそりと過ごした。
未だに自分に何が起こったのか理解できていない。つい昨日の出来事のはずなのに頭がぼうっとして働かず、現実だったのかどうかでさえ分からないでいた。
夕方になり子供達の迎えが来ると家の中は一気に静かになった。
エマが夕飯の準備をする音だけが部屋に響く。ユベルはその背中をそっと眺めていた。


窓の外はすっかり暗くなっていた。
夕飯ができあがりテーブル並んでいるがまだ食べる様子は無い。
「今日は帰りが遅いのね。」
エマは外を気にしながら呟いた。
「一緒に住んでる子がいるの。仕事に行ってるんだけどね。」
不思議そうな顔をしたユベルにエマは説明する。その直後、家の扉が開く音がした。
「ただいま。」
入ってきたのは、ユベルよりいくつか年上であろう少年だった。
「おかえりなさいイサギ君。今日は遅かったのね。」
それに対する返事は無かった。イサギと呼ばれた少年はユベルに目を止めると、そのまま睨みつけるようにじっと見つめた。
その視線はだんだんと険しさを増しているようだった。
「エマ、そいつは…。」
「あのね、イサギ君が出かけた後で倒れてるのを見つけたの。しばらくここで居てもらおうと思うのだけど…。」
「はあ!?」
イサギは驚きと怒りの声をあげた。
「調子が悪そうだから治るまでは、ね?」
「そんなこと関係ない。こいつはここにいちゃいけないヤツだろ!」
「イサギ君!」
イサギを止めるようにエマは声を張り上げる、が。


「だってこいつは『カイン』だろ!」






その言葉で、ユベルは自身が付けているカインの証の首飾りをギュッと握りしめた。
そうだ、コレをつけている限り気がつかれても仕方ない。
「貴方も知ってるでしょ?カインは…。」
イサギはジロリとエマを睨みつけ、黙らせた。
そしてユベルの前まで来ると彼を見下ろした。
「いいか、教えてやる。俺の兄さんはカインだった。」
ユベルは「え?」と小さく声を上げ、戸惑いの表情でイサギを見上げる。
その眼差しは険しかったが冷酷なものではなく、深い悲しみをにじませていた。
「俺は覚えてないけど、まだ小さい頃に教会の奴らに連れて行かれたらしい。
父さんは兄さんを取り戻そうとカインの事を色々と調べたんだ。そしてカインを解放しようと行動をおこした。それに教会が気付いた。」
エマは俯いたまま黙ってそれを聞いていた。
「…父さんは殺された。教会に、神に背いたと罪を着せられて。」
ユベルは息を呑んだ。
「あんな父親、俺は嫌いだったけど、殺されるようなことはしてなかった。」
イサギはぐっと手を握りしめた。
「…今すぐ出てけよ。カインにとは関わりあいたくない。」
そう言い残し、イサギは自室へと去っていった。





3へ≫